Jibango Jibango

JibangoWallet

  JibangoWalletは、インターネット上のあらゆるフリーのコンテンツに対して、寄付したり、されたりすることができるシステムです。プラットフォームに依存しないので、ブログ、画像、動画、音楽、記事、コメント、つぶやきにいたるまで、あらゆるコンテンツに対して「いいな」「賛成」「感動した」「応援したい」という思いを、寄付という形で作者に伝えることができます。
 さっそく、手順を説明します。
 ①new_JibangoIDでJibangoIDを入手する。
 ②Bitcoin address を持っていない人はコイン取引所などでBitcoin addressを入手する。
 ③JibangoWalletでJibangoIDとBitcoin address(入金用のpublic address)を登録する。
 ④作者は、コンテンツのどこかに自分のJibangoIDを表示する。
 ⑤寄付したい人は、JibangoWalletで、対象とする作者のJibangoIDを入力し、そのBitcoin wallet address宛に送金する。
 以上です。

Future of digital currency

 対面の現金決済では、式Ⅰに則って、商品と現金が交換されます。
 キャッシュレス決済では、代金の支払いに金融機関が介入するので、式Ⅱの最後の項にあるように個人情報の提供が必須です。注目すべきは、式Ⅱの全ての項が国家や民間企業によって中央管理されていることです。商品の項の細目のコモディティ以下は国家戦略物資であり、国家が税金を使って管理して安定的に供給される必要があります。法定通貨は国や金融機関が創造し、国際的な通貨基金や中央銀行の管理下にあります。ここでいう法定通貨には、国家や大企業に中央管理されたデジタル通貨も含まれます。そして最後の項の個人情報は、国家や銀行など信用のある機関がデータベースに登録して管理しています。
 一方、式Ⅲの特徴は、全ての項において国家や金融機関による中央管理がなく、自律的に分散管理されていることです。
 まず、commentには著作権が無く、国によって保護されません。次に、Bitcoinは中央管理者のいない分散管理型の仮想通貨の代表です。そして最後に、JibangoIDは個人の頭の中に記憶されるだけで、外部の記憶装置や中央管理者は存在せず、いわば完全に個人に分散した識別子です。
式Ⅱと式Ⅲの本質的な違いは、中央管理か分散管理かということです。中央管理とは世界に1つの中心という意味ではなく、むしろ多中心であり、複数の国家やグローバル企業がそれぞれ独自に中心を持ち、辺縁に配置された個人に対し、中央集権的な管理が行われ、統制されるということです。一方、分散管理というのは、絶対的な中央管理者は存在せず、世界中の個人(世界市民)が同等の権利で参画し、形成された「集合知」によって、自律的に最適なバランスで均衡するということです。それはあたかも自由市場における「神の見えざる手」のごとくです。
ここで言及しておきたいのは、式Ⅱから式Ⅲの世界へ完全に移行するということではなく、法定通貨と仮想通貨は、それぞれの特性を生かして併存するようになるということです。それはキャッシュレスがどれだけ普及しても、現金決済が決して無くならないのと一緒です。
 さて、これまで式Ⅲにおける商品は"comment"として説明してきましたが、少し意味を広げれば、著作権の無い文章、音楽などの芸術も対象となるでしょう。このことはクリエイターやアーティストが、スポンサーに頼らず、創作活動そのもので報酬を得る道が拓けることを意味します。さらに物的なものに拡張すれば、法定通貨では、安定供給や品質保証などが求められるため、値が付かなかった、規格外でジャンクなものでも、仮想通貨で値が付いて、世界の市場で売れるチャンスが生まれるということです。これは法定通貨が取りこぼして廃棄せざるを得なかった価値を、仮想通貨が拾い上げ、経済全体の規模が拡大するということです。また、これまで買えるものの乏しかった仮想通貨に、新たな使い道ができるということは、余剰な法定通貨を仮想通貨に換金する流れが強まるということで、法定通貨にも新たな使い道ができるとともに、仮想通貨が法定通貨に裏打ちされることでもあります。

CommentMarket

インターネットの世界では、個人がいきなり世界の情報市場に向けて情報を発信することができます。しかし、その情報は編集者などの査読を経ていないので、質はまさに玉石混交で、量も膨大なため、読者は膨大な情報市場の中で迷子になってしまいます。 ところで、自由市場は「神の見えざる手」によって自然に最適な状態で均衡するとされています。しかし現実は、式Ⅱにのように、中央管理者という少数の人間の意向が強く働くので、完全な自由市場という前提が崩れています。一方、式Ⅲのように、分散された個人の多数意思による「集合知」は、限りなく「神の見えざる手」に近いはずで、コメントのように、査読を経ていない、玉石混交の情報が集合知によって評価され、仮想通貨の報酬がつくことで、良質のコメントが浮上し、悪質のコメントが沈むという効果が期待できます。すなわち、この市場では「集合知(≒神の見えざる手)」によるコメントのキュレーションが行われるのです。

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